昨年末から洗濯物を部屋に干しっぱなしだったので、今日ついにたたみました。
今は嫁さん&草汰が実家にいるので、僕の洗濯物だけがローテーションするだけで、
嫁さんと草汰のものは干しっぱなしでした。。。。
草汰の布オムツを独りたたみながら思いました。
「すんごい久しぶりだぁ。懐かしい。」
無職やった夏場は、けっこうたたんでいたのになぁ。
おむつも良くかえていたのになぁ。
四六時中嫁さんと草汰と一緒やったなぁ。
今思えば貴重な時間でした。
会社で再び働き始めてからは、一日長くて2時間ほどしか草汰と絡んでいないです。
なんだか寂しいなぁ。
重松清の小説「流星ワゴン」(文庫版)の解説に下記のようなことが書いてありました。
(ちょっと長いけどタイピングの練習も兼ねて。。)
フランスの社会史家エリザベート・バタンテールは本の中で次のように説明している。19世紀半ばを過ぎて工業社会が実現すると、家庭は新しい相貌を帯び始めた。男性たちが一日中、工場、高山、オフィスなど家庭の外で働かなければならなくなった。都会に住む家族の父親と子供との接触は著しく減り、父親は子供の目には、なにかわけのわからない仕事をしている遠い存在になってしまった。(略)その50年後には、世界は、交流のまったくない異質な領域に二分された。母親が管理する家族という私的な領域と、男だけの国である公的な職業の領域である。日本でも事情はまったく同じである。ことに戦後の高度成長期以降、職場と家庭は完全に分断され、父と子の距離はどんどん離れていった。。。。。
これが良いことなのか悪いことなのかは別として(そんなん決めようがないですね)、
子供とたくさんの時間を過ごすということがすんごい幸せだなと感じてしまった僕としては、
どうにかしたいなぁと思ってしまう。
子供とたくさんの時間を過ごしたいということは、
僕が子供に対して一方的に思っていることであるので、子供からしたらうっとうしいかもしれない。
また、子供が幼い時期だから僕は幸せを感じるのかもしれない。大きくなったらわかんないかも(そりゃないと思うが)。
どういう家庭を築いていくのか、築いていきたいのか、自分のやりたいことと家庭との関係をどうするか
しっかり考えたいと思う今日この頃です。
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